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丁間稲荷神社の石造物 [石造物]


丁間稲荷神社


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名称 丁間稲荷神社(ちょうけんいなりじんじゃ)
所在地 前橋市問屋町二丁目3-4
史跡指定 笠薬師塔婆(市指定重要文化財)
備考

丁間稲荷神社は、慶長7年(1602)時の総社藩主秋元長朝が天狗岩用水の開削のおり、境内に用水測量の基点丁間台を設置して、工事の安全と完成を祈願したのが始まりと言われています。

笠薬師塔婆(かさやくしとうば)は、県内最古の様式で、亡くなった人を供養する笠塔婆(石製の塔)です。丸顔の四方仏、笠石の表現などから、平安時代末期から鎌倉時代初期の造立と考えられます。塔の四面には、頭部と身体部の発する光を各々表現した二重光背に裸形坐像と台座が表現されています。4面の各面にはは、南方釈迦、東方薬師、北方弥勒、西方弥陀の顕教四仏が現されています。


 


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  笠薬師塔婆(かさやくしとうば)


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  南方 釈迦如来


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  東方 薬師如来


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  北方 弥勒如来


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  西方 釈迦如来



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タグ:史跡
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寶林寺の石造物 [石造物]


寶林寺


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名称 寶林寺の石造物
所在地 前橋市田口町544-1
史跡指定 石造観音菩薩坐像(市指定重要文化財)
備考

石造観音菩薩坐像は一枚の安山岩で造られた、高さ48cmの半肉彫りの石仏で、田口町の観音山古墳の墳頂に安置されていたのを、宝林寺境内に移されました。

観音菩薩は二重の蓮華座に座り、舟形光背には5つの種子(梵字)が彫られ、応永20年(1413)の銘もあります。

 


 


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  石造観音菩薩坐像


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  六地蔵「正徳元年(1711)」右から延命地蔵 ・不休息地蔵・ 讃龍地蔵 ・破勝地蔵 ・護讃地蔵 ・弁尼地蔵 


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  馬頭観音?


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  地蔵菩薩像 「元文二丁巳ノ天秋月吉日(1737)」


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  地蔵菩薩像「文政二年 (1819)」


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  地蔵菩薩像


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  聖観音像 「延宝二 (1674)」


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  田の神?


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  奪衣婆と閻魔大王(右)


閻魔_00003.jpg閻魔_00004.jpg閻魔_00005.jpg
  閻魔大王


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  さらし首?



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タグ:史跡
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富士見町の石造物 Ⅳ [石造物]


カスリーン台風災害の記録


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名称 白川水害供養塔
所在地 前橋市富士見町原之
史跡指定 なし
備考

カスリーン台風 記録では、70年前の1947年(昭和22年)9月、秋雨前線が本州付近に停滞する15日夜半、房総半島南部を通過したカスリーン台風は東日本に大雨を降らせた、関東では洪水土砂災害によって死者数1,100名、家屋の浸水30万3千160戸、家屋の倒半壊3万1千381戸の甚大な被害となった。その被害の多くは、利根川堤防決壊、洪水土砂災害などで、赤城山西面、南面の地域では、赤城山の外輪山を中心にして放射状に走るすべての渓流に発生し、赤城山系に水源を持つ利根川、沼尾川、天竜川、赤城白川、粕川などは、至る所で土石流が発生し、宅地や農地に大量の巨石と流木等が堆積した。赤城白川の氾濫は富士見村原之郷、原東地区を襲い、死者54名。沼尾川流域で死者行方不明者は83人など、甚大な被害を出した。

白川水害供養塔は富士見町の石造物 Ⅱ・災害復旧記念碑から100メートルほど東に白川水害犠牲者供養塔があります。


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  災害復旧記念碑


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  富士見町かるためぐり7


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  白川水害犠牲者供養塔


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 「昭和22年9月15日水害遭難死者氏名」54名の氏名と年齢が記録され、40代以下の若い方がほとんどです。また、裏面にはカスリーン台風経過の状況が記載されています。


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  供養塔


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  大日如来塔


 


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  如意輪観音像「享保十三戊申年 (1728)」


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タグ:災害碑
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川原町路傍の道祖神 [石造物]


川原町路傍の道祖神


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名称 川原町路傍の道祖神
所在地 前橋市川原町
史跡指定 なし
備考

(裏書)

この同祖神は一七七八年(安永七年)に建立されて依頼二一七年の間村人の安全を見守ってきました。

この度川原第3地区土地区画整理事業及び利根川新橋建設事業に伴い県道の道路敷きになるため関係者の理解を得て当所に移転しました。

願わくば今後もこの町の守り神として広く親しまれます様に祈りします。

旧所在地 川原町五二四-二

 一九九六年(平成八年)三月吉日 川原町自治会


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道祖神本来のすがたで保存され、この地の提供者に感銘しました。



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小出神社の石造物 [石造物]


小出神社


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名称 小出神社
所在地 前橋市上小出町2丁目21−10
史跡指定 なし
備考 俳人藍沢無満句碑があります。
狛犬、手水桶と揃いの御神燈はともに大正の年号が入っていました。

 


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  二の鳥居「宝暦十三癸未年 (1763)」

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  石尊宮 「享保十五庚戌年 (1730)」

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  手水舎

御神燈17_16.jpg
  御神燈


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  石灯籠「元禄九丙子年 (1696)」

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  秋葉神社



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  末社
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  三峰神社藍沢無満 


藍沢無満_00001.jpg藍沢無満_00005.jpg
  句碑(岩治元年十月二十九日没)
 「庵の蚤(のみ)一跳々(ひとはねはね)て草の中」


 



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香集寺(こうしゅうじ)の石造物 [石造物]


香集寺


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名称 香集寺(こうしゅうじ)
所在地 前橋市上小出町3丁目1−13
史跡指定 なし
備考 珍しい室町時代末期のものと思われる「地獄の責め具」があります。

 


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  宝篋印塔


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  二十二夜搭 如意輪観音像


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  馬頭観音像


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  薬師如来塔


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  六地蔵石幢


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  観世音菩薩像


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  大日如来塔


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  如来塔:この地域の道端、畑の畔、藪の中に供養されずに放置されていた石塔、五輪塔、石仏を集め供養している。戦国時代から室町時代のものが多いらしい。


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  地獄の責め具 ・浄玻璃鏡・人頭杖・業の秤(室町時代末期につくられたと思われています。)


浄頗梨鏡(じょうはりきょう):閻魔が亡者を裁くとき、善悪の見きわめに使用する地獄に存在するとされる鏡である。
人頭杖:閻魔王が持つ杖で、杖の上には「見る目」「嗅ぐ鼻」の2つの頭部が乗っていて、閻魔王がめいどで死者を裁く際に善悪を感知する。
業の秤(ごうのはかり):地獄にで亡者の罪業をはかる秤。


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  芭蕉の句碑「樫の木の花にかまはぬ姿かな」
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  芭蕉の句碑「しはらくは華のうへなる月夜かな」
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  無耳庵蓮阿の句碑「ゆふがほの花のあたりはくれにけり」
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  無満の歌碑「枝鳴らすかぜはみ山のおくも吹くよし世の中にみみやおほはん」安政2年(1855年)建立



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観民稲荷神社の石造物 [石造物]


観民稲荷神社


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名称 観民稲荷神社
所在地 前橋市岩神町2丁目21
史跡指定 なし
備考 観民稲荷神社は東を流れる風呂川と共に、利根川の崖線上にあります。
風呂川は広瀬川から分水させ、前橋城のために引かれた川です。前橋城主酒井重忠が、城の防備や防火を始め城下の生活用水をかねて引いたと考えられています。風呂川の名の由来は、敵に城内の内情を知られないようにと「風呂」の名を利用した説や上杉謙信が入城の際、入浴に使ったという伝説から風呂川の名がついたという説があります。その風呂川を引いたとき、守護として観民稲荷神社造られたとされています。

 


観民稲荷神社2 (5).jpg観民稲荷神社2 (3).jpg


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  風呂川と観民稲荷神社
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  大勢豆菩薩
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  猿田彦大神

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  弁財天
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  句碑


 



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