蓮花院(下小鳥町)の石造物 [石造物]
蓮花院 高崎下小鳥町
大乗寺(棟高町)の石造物 [石造物]
大乗寺 高崎市棟高町
大乗寺の農耕図屏風:市指定重要文化財
源信寿(みなもとののぶひさ)が江戸前期における農作業を描写したもので、脱穀に二股の自然木を利用している様子などから時代の古さを感じさせます。また、女が頭上に舟・えび・うさぎ等の型を乗せて、五穀豊穣を祝う踊りを行なうなどの描写が見らる「農事一式の図」六曲一双の屏風です。
タグ:史跡
首塚(下小鳥町)の石造物 [石造物]
首塚 高崎市下小鳥町
徳川家康の孫の高崎藩主松平丹波守康長が、下小鳥村民に重い年貢を課したところ、村民が反抗したらので、殿様は藩の役人、武士たちに加えて安中藩の侍達までも動員して、罪もない村人達の多くを殺害し、この地の穴に死体が埋められてしまった。この場所はその後、切干塚とか首塚と呼ばれるようになった。たという言い伝えをもとに明治34年建立された、慰霊碑である。碑文によれば、この事件は、藩主とその役人武士たちが、あまりにひどい政策を行ったことに対し、農民は強く反目する、そしてこれを怒った役人武士たちは、元和3年(1617年)正月4日、この村の老若男女全員を殺害してしまったというのである。そして殺害された村人たちの状況や心情を推量描写し、その心をいたみ万感をこめて霊を慰めている。撰文は真塩紋弥で群馬町生まれ、明治13年(1880年)秣場騒動の指導的役割を示した人という。口伝されている、この事件を裏づける資料は現在のところ発見されていない。碑裏の小さな自然石「三界万霊塔」は、昔からの供養塔の様です。
三界万霊
三界万霊
タグ:史跡
諏訪神社 (大八木町)の石造物 [石造物]
諏訪神社 高崎市大八木町
開闢普寛霊神:御嶽山には、人が亡くなった後、その御霊を「霊神(れいじん)」として祀る信仰があり、「御嶽山を信ずるものは死後引き寄せを受けて童子即ち神の眷属になる」と説いたのが霊神信仰の始まりです。
タグ:高遠藩石工.
幸宮神社 (下小鳥町)の石造物 [石造物]
幸宮神社 高崎市下小鳥町
文政7年3月(1824)に地元の人たちが和算を学んだ記念に奉納したものと思われ、和算の問題3題と解法、答が記されています。