不動寺(貝沢町)の石造物 [石造物]
不動寺 高崎市貝沢町
高崎市小八木町の石造物 [石造物]
双体道祖神
如意輪観音像
貝沢町の石造物 [石造物]
高崎市貝沢町霊園入口
左から ??、馬頭観世音、石殿、馬頭観音像「明和九壬辰年(1772)」、地蔵菩薩像、地蔵菩薩像
左から 南無阿弥陀仏「文化二乙丑年十一月吉日 (1805)」、如意輪観音像 大乗妙典廻國(法華経を書写し、全国の霊場に1部ずつ納経して満願結縁する巡礼を行った。このことは、法華経を持って諸国を遍歴した源頼朝の前身の頼朝坊、北条時政の前身の箱根法師などが知られている。
徳川幕府の寺請制度で、原則自由な移動は禁止された。しかし、行者は特定の会所に所属しその支配下に入ることで、諸国を自由に巡礼する特権を得ていた。)、地蔵菩薩像
龍泉寺(観寺町)の石造物 [石造物]
抜鉾神社(菊池町)のウサギ伝説 [石造物]
抜鉾神社(ぬきほこじんじゃ) 高崎市菊地町
菊地町のウサギ伝説
抜鉾神社にまつわる民話・伝説
昔、和田山(今の箕郷町に属する)和田氏の隠れていたところに松本三左衛門という人が居ました、温厚篤実な敬神家だった・・・
特に抜鉾神社を信仰していた、ある年天然痘が大流行してしていて三左衛門の二人の子供も病気にかかって、病状日々重く、命旦夕に迫った、三左衛門夫婦は医薬に看護に心身を労し、もはや神の助けによるほかなく、ひたすら神に祈った、三左衛門は疲れにウトウトしたと思ったら、夢の中に老翁が現れ厳かに言うのであった。
[当神の化身である、お前の平素の心掛け、深く感謝するところで、ついては二人の子供の難病を、ウサギを身代わりとして、治してあげよう]
そこで夢そこで夢が覚めた・・・ それから幾日が過ぎて、さすがの重病もまったく快癒して、天然痘の跡も残らずにただ驚くばかりだった、不思議というほかなかった。たまたまウサギを売りに来た男があった、三左衛門派はウサギを買い求め、生きているものを殺すに忍びないと竹筒の中に飼っていた、ところが、病気の子供が軽くなるにつれて、ウサギの前進が天然痘にかかった様になり、子供たちが全快と同時にそのウサギは重い様相を呈したという、まことに神明の・・・
霊験のあらたかというべく、遠近伝えを聞いて抜鉾神社に参拝者が・・・
日々増して多く、其の後・祭礼のときに、あまりの賑わいに氏子の子供二人が群集中からもみ出されて、路端の畑の中に転びこみ・・・
ヒエの切株で目を突き激しい痛みだった、そこで子供の眼を神泉で洗ってやったところ痛みがなくなり、まことに神霊の加護あらたか といわねばならなかった。然し、不思議なことに其の後、この神池のウサギは、いずれもみな片目だと言われている。(抜鉾神社説明板より)
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