富士見町の石造物 Ⅳ [石造物]
カスリーン台風災害の記録
名称 | 白川水害供養塔 |
所在地 | 前橋市富士見町原之 |
史跡指定 | なし |
備考 |
カスリーン台風 記録では、70年前の1947年(昭和22年)9月、秋雨前線が本州付近に停滞する15日夜半、房総半島南部を通過したカスリーン台風は東日本に大雨を降らせた、関東では洪水土砂災害によって死者数1,100名、家屋の浸水30万3千160戸、家屋の倒半壊3万1千381戸の甚大な被害となった。その被害の多くは、利根川堤防決壊、洪水土砂災害などで、赤城山西面、南面の地域では、赤城山の外輪山を中心にして放射状に走るすべての渓流に発生し、赤城山系に水源を持つ利根川、沼尾川、天竜川、赤城白川、粕川などは、至る所で土石流が発生し、宅地や農地に大量の巨石と流木等が堆積した。赤城白川の氾濫は富士見村原之郷、原東地区を襲い、死者54名。沼尾川流域で死者行方不明者は83人など、甚大な被害を出した。 白川水害供養塔は富士見町の石造物 Ⅱ・災害復旧記念碑から100メートルほど東に白川水害犠牲者供養塔があります。 |
「昭和22年9月15日水害遭難死者氏名」54名の氏名と年齢が記録され、40代以下の若い方がほとんどです。また、裏面にはカスリーン台風経過の状況が記載されています。
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