荒口町の双体道祖神 [石造物]
双体道祖神
名称 | 荒口町の双体道祖神 |
所在地 | 前橋市荒口町 |
史跡指定 | なし |
備考 |
「天保二辛卯年 (1831)」 |
インパール兵隊戦記―歩けない兵は死すべし (光人社NF文庫)
- 作者: 黒岩 正幸
- 出版社/メーカー: 光人社
- 発売日: 2004/07/01
- メディア: 文庫
富田町の如意輪観音 [石造物]
富田町の如意輪観音
名称 | 富田町の如意輪観音 |
所在地 | 前橋市富田町 |
史跡指定 | なし |
備考 | あぐらで膝を立て、膝に肘をつけ、手を頬にあてがう輪王坐の如意輪観音等が多数保管されていました。 |
観音寺の六地蔵幢 [石造物]
百番観世音堂前の石造物 [石造物]
百番観世音堂前の石造物
名称 | 百番観世音堂前の石造物 |
所在地 | 前橋市上大島町 |
史跡指定 | なし |
備考 |
月待は江戸時代の文化・文政の頃、全国的に流行した「旧暦での月待行事」のことで、十五夜(旧暦15日の夜)・十六夜(旧暦16日の夜)・十九夜(旧暦19日の夜)・二十二夜(旧暦22日の夜)・二十三夜(旧暦23日の夜)などの特定の月齢の夜、仲間(講中)が集まり、「教典」などを唱えて「月」を拝み、「悪霊」を追い払う宗教行事です。 中でも多い二十二夜塔は、「旧暦二十二日の夜に女性が月待ちをすれば、願い事が叶うという信仰」で、女性講、念仏講とも言われる信仰的な要素で、如意輪観音を本尊とし、会員は出産年齢が原則でした。 旧暦は、月が新月になる日を月の始まり(各月の1日)と考え、次の新月の日がやってくると、次の月の1日としました。 |
百番供養塔 「享和三癸亥年(1803)」 この供養塔に願いをかける時、小石で台座を叩きながら願い事を唱えたため、台座には願いが込められた穴が沢山あります。この様なくぼみは道祖神の台座によく残されています。
二十二夜塔 北面は線刻された如意輪観音(左手に法輪、右手は頬)
上大島町百番観音堂の石造物 [石造物]
上大島町百番観音堂
名称 | 上大島町百番観音堂 |
所在地 | 前橋市上大島町 |
史跡指定 | なし |
備考 | 百番観音堂は宝暦年間(1751~)以前に建立され、その後焼失したが、昭和8年再建された。堂内には、先祖の方々が 各地の霊場(西国三十三番観音霊場、秩父三十四番観音霊場、板東三十三番観音霊場)などを巡礼し、その記念として奉納した聖観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音、馬頭観音などの観音様百体が祀られている。(参考:上大島町ホームページ) |
三尊石仏 中尊が左手に薬壺を持っていることからすると薬師三尊、左右の脇侍は日光菩薩と月光菩薩。
下長磯町の三尊石仏 [石造物]
三尊石仏
名称 | 下長磯町の三尊石仏 |
所在地 | 前橋市下長磯町 |
史跡指定 | なし |
備考 | 舟形光背形面を共有する半肉彫りの三尊石仏、中央で右手を上げ左手を下げる阿弥陀如来、右に立つのが如来像、左が観音菩薩の組み合わせなのかもしれない。 |
浄土院の石造物 [石造物]
浄土院
名称 | 浄土院 |
所在地 | 前橋市上大島町898 |
史跡指定 | なし |
備考 |
六十六部供養塔 鎌倉時代から流行し、法華経を六六部書き写し,日本全国六六の諸国の霊場に一部ずつ奉納し満願がかなって、遍歴者(六十六行者)が仏法と縁を結ぶとして建立された供養塔。 |
ぼくは満員電車で原爆を浴びた: 11歳の少年が生きぬいたヒロシマ
- 作者: 米澤 鐡志
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2013/07/11
- メディア: 単行本
下長磯稲荷神社の石造物 [石造物]
下長磯稲荷神社
名称 | 下長磯稲荷神社 |
所在地 | 前橋市下長磯町 |
史跡指定 | 下長磯の式三番叟(しきさんばそう)県重要無形民俗文化財 |
備考 |
式三番叟は、日本芸能の正月や寺院・神社の祭礼の場や舞台の「こけら落とし」等で、最初の狂言として演じられる儀式的な舞踊です。悪霊の鎮静・国土安泰・天下泰平・五穀豊穣を祈願する芸術です。 |
駒形神社の石造物 [石造物]
大黒天社の庚申搭 [石造物]
大黒天社の庚申搭
名称 | 大黒天社の庚申搭 |
所在地 | 前橋市荒口町 |
史跡指定 | なし |
備考 | 宝暦十庚辰天三月(1760)三月造立、青面金剛塔らしいが、種子は地蔵菩薩に思えます。高さが150cm前後あり、立派なものです。 「前橋の伝説百話」では、近くの観音寺(現在は廃寺)に本堂のあった頃、大黒様は庭に北向きに坐っていて、その頃は大黒様が向いている上組が裕福であったが、その後、軒端へ移し南向きにしたしたら、大黒様が向いている下組が裕福になり、上組が衰えた。本堂が無くなってからは、東向にお堂を建て、公平に東向にして祀ってある。現在、お堂内には信州高遠笠原村住 赤羽惣吉 赤羽好廣 作の大黒天像があるらしいが、いつか確認したいです。 |