長昌寺(紅雲町)の石造物 [石造物]
長昌寺 前橋市紅雲町一丁目
本城氏の墓:市指定史跡
本城氏の墓三基。本城満茂は最上義光の最高家臣で、慶長7年(1602)に義光の出羽入封にともなって出羽の由利地方(現在の秋田県由利本荘市)に4万5千石を与えられて本荘城に移った際、本城に改姓している。1622年、最上家が改易(江戸時代に侍に科した罰で、身分を平民に落とし、家禄・屋敷を没収する)されると厩橋城主(前橋城)酒井忠世の家臣になり3千石を与えられた。以後、本城氏は酒井氏が寛延2年(1749年)姫路に移封されるまで120年余を前橋の地で暮らしました。
江戸時代末期には満茂などの墓があったようだが、現在は満茂夫人、満茂の次女、満茂の養子・親茂のものだけが残っている。
左から「羽州由利 本城主水正」二代目親茂の墓、「明窓貞源(?)大禅定尼」は満茂の娘で、親茂の妻の墓、「鏡清院殿明窓 春光大姉 逆修」満茂の妻、山家氏の墓。背後の小さな五輪塔は説明では満茂の子・満信とある。
没年が寛永十六年十月二日(1639)とあり、満茂夫妻と同じ年に亡くなった様です。
背後の五輪塔「満茂の子・満信」
地蔵菩薩像
阿弥陀如来像
後列左から脱衣婆、阿弥陀如来像、地蔵菩薩像、阿弥陀如来像、地蔵菩薩像、阿弥陀如来像、阿弥陀如来像
脱衣婆
阿弥陀如来像
地蔵菩薩像
三面大黒天