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城下町 甘楽町小幡 [石造物]



群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡地内


雄川堰:町指定重要文化財

 

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 城下町の面影と街を流れる雄川堰の清流
 町並みと町を流れる水路(雄川堰)は約400年の歴史があり、住民の生活用水や下流の水田の灌漑用水として利用されてきた。


 小幡地区は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、豪族・小幡氏の根拠地として栄え、その後、元和元年(1615)に織田氏の所領となりました。小幡藩2代藩主は初代藩主・織田信良の次男で、寛永3年(1626)父の死により家督を継ぐが、その時は2歳だったため後見人を立て政務を担当し、寛永6年(1629)小幡村に陣屋の建築を開始した。

 初代 信雄から七代信富迄の墓が崇福寺の旧境内に建っています。

  

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 井戸と道祖神

 

 小幡の城下町は南側の武家屋敷地区(陣屋地区)と、北側の町人が住む町屋地区が大手門で区切られていた。

 

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 中小路の両側は武家屋敷

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 喰い違い郭:直角に折れた石垣で、戦時の防衛、また下級武士が上級武士に合わないように隠れるのに使ったらしい。

 

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 松平家大奥:松平家が治めた江戸後期の建築で、奥方と何人かの腰元が住んだ。幕末にペリーが浦賀に来航した際、将軍が江戸城の大奥にいた女官15、6人をこの屋敷に疎開させたと伝わっている。



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