日々の散歩での発見を、写真で気のむくまま、思いのままに。
斉藤多須久 前橋藩主、酒井公が領内総検地のため苗ヶ島村に来た際、苗ヶ島村の名主 東宮平右衛門が赤城山中で湯宿を経営していたが、温泉営業を願い出ました。 しかし、翌年の元禄3年、三夜沢赤城神社神官より、温泉場は神領で、苗ヶ島村の百姓共が勝手に神領に入り、湯宿を経営していると幕府に訴えを出します。 また、温泉が冷泉のために暖める必要があるので、周囲の山中の木を切り、薪にしておりました。室沢村(旧粕川村)の石原孫兵衛は前橋藩の認可を得て炭の大規模な生産をしていたこともあり、赤城南麓の森林が失われ、水害が多発するなど、赤城南麓周辺の村の住民は、湯宿の者たちが勝手に木々を伐採するから里村に水が来ない、と藩に訴え出ました。 藩の許可を得ている石原孫兵衛は訴えられないので、その責任を時の苗ヶ島村の名主 東宮家に向けたが、しかし、藩は何度訴えてもその訴えを退け、騒動が起きる度に温泉場は放火(6回以上)され、明治に入っても続きます。 その解決の為に県令が自ら現地視察に訪れ、東宮家と県令との仲介の労をとったのが斉藤翁です。
監視社会の未来―共謀罪・国民保護法と戦時動員体制
住基ネットと監視社会
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