陣場・庄司原古墳群_ 上庄司原1号古墳 [古墳]
陣場・庄司原古墳群
左の林が 横室古墳公園
立地
前橋市富士見町は標高400m前後を境に、北側の山岳地と南側の山麓地に分けられ、南側の山麓地は東側は赤城白川扇状地、西側は丘陵地形となっている。上庄司原東遺跡群はこの丘陵性台地の東端扇状地に位置する。さらに、東側は赤城山から南西流する法華沢川、西側は谷地形になり、二谷に挟まれて旧利根川に向かって延びる樹枝状の細長い丘陵台地南端に位置する。
[現地案内板]
陣場・庄司原古墳群は富士見村大字横室字陣場・上庄司原・下庄司原地区にあり法華沢川右岸の台地上に位置していました。この地区の一帯は富士見村でも有数の遺跡包蔵地で、平成元年度県営ほ場整備事業富士見地区に伴って発掘調査が行われました。(陣場・庄司原遺跡群)
古墳公園が作られた上庄司原1号古墳周辺にも縄文時代前期と平安時代の集落跡で、遺跡名を上庄司原東遺跡と言います。
発掘調査を行った古墳は7基で、墳丘の形状はすべて円墳です。墳丘の規模は直径20m前後が5基、10m前後が2基です。ほとんどの古墳の墳丘の回りには葺石が積まれ、その外側に周掘が掘られていました。石室の前には墓前祭を行ったと思われる、前庭という施設が設けられているものも多くありました。
石室はすべて両袖型横穴式石室ですが、石室の構築方法や石材の加工方法・材質などは様々なものがあります。多くは赤城山の山石(輝石安山岩)をほとんど加工せずに積み上げただけの、自然石乱石積石室ですが、入口など一部に切り石を用いているものもあります。さらに、榛名山二ツ岳から噴出された(6世紀)転石(角閃石安山岩)を用いた削り石積石室や載積切組積石室もあり、この古墳群の中で古墳時代後期から終末期の石室の変遷がたどれる貴重な古墳群です。
遺物はほとんどの古墳が盗掘されていましたが、武器類(大刀・小刀・鉄鏃)、馬具、飾類(耳環・ガラス小玉・帯金具)、土器類(須恵器のはぞう・高杯・平瓶・甕、土師器の高杯・杯)などが出土しています。
古墳群の造られた時期は6世紀後半から7世紀後半にかけてと思われます。
横室古墳公園は現地保存した上庄司原1号古墳のまわりに上庄司原2号古墳と上庄司原4号古墳の石室を移築し、併せて保存整備を行ったものです。
平成4年3月 富士見村教育委員会
上庄司原1号古墳
名称 上庄司原1号古墳/富士見村第8号(上毛古墳総覧)
史跡指定 なし
所在地 前橋市富士見町横室 古墳公園
古墳群 陣場・庄司原古墳群
築造年代 6世紀後半~7世紀後半
墳形 円墳
大きさ 径約14m、基壇面径約24m、高さ2m?
葺石 あり
埴輪の配列
周溝 あり
埋葬施設 両袖型横穴石室、赤城山の山石(輝石安山岩)、南東向きに開口、前庭が設けられている。
石棺
出土遺物 耳環、大刀、鉄鏃、馬具、人骨、歯、須恵器、甕、土師器の坏、形象埴輪
備考
上庄司原1号古墳 [現地案内板]
上庄司原1号古墳は、陣場・庄司原古墳群の中で最も残存状況のよかった古墳であり、現在地にそのまま保存し、墳丘の復元などの若干の整備を行ったものです。
古墳は、法華沢川に望む台地の崖端に築かれた、径約14m(テラス状の基壇を含めると約24m)の円墳で、その周辺には一部分を除いて周堀が巡っています。墳丘の周囲には葺き石が積まれています。
石室は、赤城山の山石(輝石安山岩)を用いた自然石乱石積みの両袖型横穴式石室で、旧地表面を掘り込んで作られています。石室の前面には、墓道状の前庭が設けられており、墓前祭が行われたと思われます。
玄室の中からは耳環や大刀、鉄鏃、馬具等が出土し、人骨、歯も残っていました。(複数の遺体が埋葬されていたと思われます。)前庭とその周辺からは、須恵器のはそう、甕、土師器の坏等が出土しています。
整備は、後世の耕作などによって崩されていた墳丘に若干の盛土を行い、盗掘などによって抜き取られていた玄室と羨道部の天井石を補っただけで、多の部分はほとんど調査した時のままです。なお、周堀の部分には砂利を敷いて範囲を示しています。
平成4年3月 富士見村教育委員会
富士見地区遺跡群 陣場・庄司原古墳群 埋蔵文化財発掘調査報告書より
富士見地区遺跡群 陣場・庄司原古墳群 埋蔵文化財発掘調査報告書より
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