金古町の歴史遺産 [石造物]
金古神保家
金古神保家大門(表門):高崎市指定重要文化財
脇塀の上には忍者返し、奥には圏舎が見えます。
表門と門番の部屋、奥には母屋。
江戸初期、三国街道の金古宿に神保家がこの地に移り、後にこの地域を支配した旗本松田氏の代官や名主を務めた豪農でです。
総ケヤキ造りの門は、門番の部屋が付随する構造で、1868年(慶応4年)の世直し一揆による襲撃後、補修した痕跡が門柱に残されています。
当時の母屋と表門・圏舎(牢屋)が残されています。
行人塚とケヤキ
宝篋印塔 左「寛文元辛丑天二月卄九日 (1661)」
宝篋印塔 右「真岩常正居士 寛文二壬寅天四月五日 (1662)、真岩常正:即身成仏になられた羽黒山修験者で、生きながらに埋葬され、仏になる即身成仏を慰霊した行人塚です。」
ケヤキは入定塚が造られた頃に植えられたと思われ、樹齢約400年と思われ、樹高は約30mです。
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