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女渕城跡 [石造物]

女渕城跡


女渕城跡_005.jpg


名称 女渕城跡
所在地 前橋市粕川町女渕1221
史跡指定 前橋市指定史跡
備考  女渕城 の築城年代は明確ではありません。戦国時代に赤城山南麓にあった城の一つで、全面が高い岸の自然の河川を水濠を用いた平城で、北曲輪、帯曲輪、本丸、二の丸、御霊曲輪(三の丸)、竜光寺曲輪などで構成され、城域は東西約200m、南北約450mを占めています。

 関東管領山内上杉氏の時代には、配下の豪族が居城していたと考えられています。
 天文21年(1552)に北条氏康の攻撃を受けた関東管領上杉憲政が越後の長尾景虎の元へ逃げ延びて以降は、周辺の赤城山南麓の城と同様に、北条氏、武田氏、長尾氏の三者の争奪戦になったものと考えられます。
 永禄2年(1559)に上杉謙信が女渕城を攻略攻し、配下の長尾顕長に与えられ、顕長配下の新井氏が居城しました。
 永禄12年(1569)沼田景義は父とともに兄の朝憲を殺しことを家臣に攻められ、会津の蘆名(あしな)氏をたよる。その後、上野金山城主由良国繁の助けをかりて天正9年(1581)3月沼田城の奪回をはかったが,真田昌幸の謀略により殺害された。
 天正6年(1578)に謙信の死後、越後上杉氏の勢力は急激に衰え、それに替わって武田氏がこの地域する。
 天正10年(1582)に武田氏が滅亡すると北条氏の勢力下になる。
 天正18年(1590)に豊臣秀吉の小田原征伐により北条氏が滅亡により、女渕城も廃城になったと考えられています。



主郭と二郭を西から_007.jpg 主郭と二郭

主郭北側_001.jpg 主郭北側

西曲輪_014.jpg 西曲輪

西宿沼_002.jpg 西宿沼

本丸と二の丸_008.jpg 本丸と二の丸

本丸跡_001.jpg 本丸跡

女渕城跡_006.jpg




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タグ:史跡
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