SSブログ

吉岡町北下の石造物 [石造物]

宝形(ほうぎょう)造り石殿


北下_0003.jpg


北下内仏_0002.jpg
 石殿内仏


 石祠型墓石は関東甲信、東海地方などに多く見られ、石殿・石室・万年堂・かろうと等と呼ばれています。その内部には板状の墓標、五輪塔、合掌を基本とする単体、双体の石仏が納められ、先祖仏・祠内尊・祠内仏などと呼ばれています。
 石祠型墓石の建立年代は戦国末期から江戸時代初期です。 その建立は室町時代後期に、上州の赤城山南麓領主の石造仏堂として登場し、戦国末期に上州の地侍の墓石に変化して建てられ、近隣の国衆や地侍の墓地にひろがったらしい。  造立期間は戦国末期から元禄期(1688~1704)までの約百年で、寛永期から登場する板碑型墓石に徐々にとって代わられ、宝永期(1704~)以降造られなくなる。


馬場重久の墓


吉岡 馬場重久の墓_05.jpg


 県指定史跡・ぐんま絹遺産


吉岡 馬場重久の墓_01.jpg
 宝形造り石殿の左端、石祠型墓石が馬場重久の墓のようです。


 馬場重久は、寛文3年(1663年)に現在の吉岡町北下に生まれ、医を業としながら、科学的に養蚕を研究し、正徳2年(1712年)に「養蚕育手鑑」にまとめ、農民を指導するとともに馬場鍬(くわ)を考案して普及させるなど、農業の改善をはかり産業発展につくした人物です。

吉岡 馬場重久の墓_02.jpg





ICAN_Regular_Logo_01.JPG

シベリア抑留 - スターリン独裁下、「収容所群島」の実像 (中公新書)

シベリア抑留 - スターリン独裁下、「収容所群島」の実像 (中公新書)

  • 作者: 富田 武
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2016/12/19
  • メディア: 新書
シベリア抑留 最後の帰還者 家族をつないだ52通のハガキ (角川新書)

シベリア抑留 最後の帰還者 家族をつないだ52通のハガキ (角川新書)

  • 作者: 栗原 俊雄
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/01/10
  • メディア: 新書

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。