総社町古墳群 [古墳]
総社町古墳群
現在の利根川は、前橋市街地西側を南下しているが、古墳時代の流れは旧市街地の北から赤城山西南麓の山麓線との間、幅約3kmの東南方向に走る低地帯を東南に流れていたと推定され、総社古墳群はその分岐点付近にある。
現在の利根川の両岸はどちらも標高120m前後の平坦な洪積台地(前橋台地)となっているが、この利根川に面した高さ15m前後の谷壁の断崖から西の平坦地のこの位置は榛名山東高麗斜面の末端にあたり、起伏はなくほとんどが平坦地で、標高は127m前後に総社町古墳群位置している。
前橋市総社町付近に分布する総社町古墳群は、5世紀代から続く古墳の発展期のものは見られないので、榛名山東南麓地域で6世紀になり急速に勢力を持った豪族層のものと考えられる。
総社古墳群を形成する古墳は、王山古墳(総覧群馬群総社町1号)付近を南限として、北限はJR群馬総社駅付近にかけての約3kmの地域で、3基の大型前方後円墳、2基の方墳、他に円墳数基が現存している。これらの中でも最古とされる王山古墳は、全長75m、墳丘をほとんど積石をもって築いている。主体部は川原石乱石積の横穴式石室で、その全長は16.5m、発見されている県内の横穴式石室では全長では最大規模です。玄室壁面には赤色塗彩があり、群馬県地方における初現期横穴式石室の典型的な様相を持っている。
この王山古墳と同時期のものとして遠見山古墳(総覧群馬群総社町6号)があるが、この2基の前方後円墳は6世紀前半には出現したものと思われる。総社古墳群中3基目の前方後円墳は、全長90mの総社二子山古墳(総覧群馬群総社町11号)で、その構築時期は6世紀末~7世紀初頭にかけて2回にわたり構築されたと思われる。
その後に、7世紀前半の構築とされ、方墳と推定される径約55mの愛宕山古墳(総覧群馬群総社町10号)が、家形石棺を安置する横穴式石室を主体部として出現している。
総社古墳群を代表する宝塔山古墳(総覧群馬群総社町9号)は、墳丘の規模1辺南北54m、東西49mを測り県内では最大規模の方墳である。格狭間を載った家形石棺を安置する載石使用の横穴式石室は壁面を漆喰仕上げされている。宝塔山古墳の東並置されている蛇穴山古墳(総覧群馬群総社町8号)も、1辺39mの方墳で、主体部は載石使用の横穴式石室である。両古墳の構築年代は7世紀末から8世紀初頭と考えられ、群馬県地方古墳文化の最終末期と考えられる。この地方でもこの時期には主要地域に仏教寺院の建立がされていた。古墳構築技術と仏教寺院の建築技術の相関性も推測される。また、吉岡町南下の南下A
号古墳では、宝塔山古墳や蛇穴山古墳の石材加工や古墳構築の技術が、榛名山東南麓の地域にも普及した事と思われます。
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